僕のこと これはメモ(2023)

僕はとても天邪鬼で、流行ってるものには乗っかリたくないし、何かに夢中になっている姿を見せたくない。話題になっていることの中心にいないし、酔いしれたりロマンティックが嫌いだ。流行ってることに乗っかってるように、時には見えているかもしれないが、乗っかって内側からそれを馬鹿にしている。そんなふうにも見えないって思われるかもしれないがそれは本当に事実だ。

全てを馬鹿にしている。それはカッコつけてたセリフではない。事実だ。人間のやることなんて馬鹿にしてあげるくらいがいいと思っている。そしてその対象は自分自身も例外ではなく、自分の評価は常に低いし、自分よりも劣っている部分が何かあるとその人の評価は低い。しかし、その一方で誰にでも簡単に尊敬をしてしまう。頭が悪いので、特に記憶力が病的に悪いので、頭がいい人への憧れ特にある。だからいつも馬鹿にしているし尊敬している、訳がわからんだろうが、どちらも真実。僕もその辺整理がついていない。わからない。

優しさは人よりもあると思う。基本思い有りを持って接するし、相手の立場に立って物事を考えるし、自分勝手に生きてはいない。しかし生まれつき体が弱いこともあり、とにかく用心深く生きている、まだ起こってもないことに対して必要以上に怯えたり、悲観的に物事を考えたり、ひどいことにならないようにとにかく準備をしている。そのせいもあり、未来へ準備もせずに、今を楽観的に楽しんでいた人が不幸な目にあったとき、あるいはそんな人よりも自分が優位に立ってしまったときに「ざまぁみろ」と思ってしまう。思ったことに罪悪感はある。だがそれは多かれ少なかれみんなそうだということを理解している。

頑張って努力している人には共感がある。人より少し優位に立っていたいが、あまり大きな差がつくのは嫌だ、劣等感を抱えている人の気持ちが分かりすぎて、それがストレスになるから。

カッコつけるのは好きだ。実際には嫌いだが、無意識でカッコつけていることがあるのできっと好きなのだろう。客観的にみて時にカッコ悪かったと反省することが多い。カッコつけることがカッコ悪ことは知っているが、やってしまう。反省ばかりだ。

敏感な時は、自分自身を斜めから見ている。誰かと真面目に話していても、話している自分に笑えてしまう。おそらく相手はなぜ笑っているのかと奇妙に思うだろうが、自分自身のことも自分が話しているという事実も嫌いなのだ。

デタラメに生きてみたい、いつもふざけていたい。そんな生き方許されるか試してみたい。そんな挑戦をうっすらしている。デタラメを成立させるためには対局にある誠実さや真剣さや努力を見せつけないと説得力を失うと思っている。だから結局いつも頑張っている人という印象を持たれる。意味がないのか?

自分が強い人間だとは思わないが、人間は誰しも弱いらしい、他人のことは分からんが、僕は群れたり所属したりしないから強い人間ではないにしろ、弱い人間でもないんだろう。しかし寂しい、自分と向き合う時間はこんなにはいらない。

どなたの活躍も嫉妬ではなく褒め称えたいから、僕は誰とも競わない様に気をつけている。それは独自の道を行くこと。誰かと競い合うのではなく自分自身と戦う。 VISITORSで僕がやっているのはそれかもしれない自分の弱さと戦っている。自分の限界と戦っている。